修学旅行最終日
2002年5月23日 朝、起きるのが辛かった。起きれない。しかし無理矢理起きた。布団のシーツをまとめ。布団をたたみ。食事をし、洗顔・歯磨きをして荷物を送る用意をして出発!
原爆資料館へ。この地、広島に行ったときと同じ気持ちだった。どんな悲惨なものでも見る。それが礼儀でもある。そして見ないといけない。2度と同じ惨劇を繰り返させないために。いわば歴史の証人だろうさ。実は、この日の前、昨日、ウチの学校全員で原爆被害者の演説を聞いたのだ。だから、みんなも真剣に見るものだと思っていた。
期待は違った。ウチの学校だけではなく多くの違う高校生、中学生、小学生が居た。館内は騒がしかった。真剣みも感じられない、何を学びに来たのかも分かっていない。騒いでいた−。また、ボクの学校の見学時間は異様に短かった。1つ1つ読んでいこうと思っていたら、もう時間だった。
見たい。見ないといけない。ここに残りたい。時間よ止まれ−。集合時間に遅れると、全員に迷惑だ。だから帰るしかなかった。やり残した。じっくりと見たかった。
集合場所でバスを待っていた。5〜10分も待った。その間の時間、見学したかった。やりきれない気持ちが残っていた…。
バスの中、ずっと寝ていた。
ハアウステンボスに着いた。何もしたくなかった。何をしにここへ来たのかが分からなかった。起きていたけど頭の中で寝ていた。適当に食事をして見学。あまりに楽しくなかったのでベンチに座ると寝てしまった。その後チーズケーキを買っていった。
ハウステンボスを出て空港へ行く間、ずっと寝ていた。車内で手紙ゲームが始まったのに気付いたが、イライラしていたので寝たフリをした。ガイドさん、協力しないでゴメン。
空港に着いた。元気はある。もう何日もいたかった。回りたかった。が、時間が来たようだった。
唯一やりのこしたことは原爆資料館の見学か…。もうやる気が無いように歩いた。みんな帰れるのに嬉しいのか笑顔だった。ボクは逆だ。やり残したことがある。体力的にも、前半は睡眠不足で大変だったけど、後半は良くなった。これから…だったのに。
出発間際、協力できなかった自分にケジメをつけようとガイドさんのところへ挨拶をしに行った。お礼をして、これからも頑張って欲しいと伝え、ガイド全員と写真を取った。最後に握手。協力できなかった自分を許して欲しいと思うぐらいだった。
なぜ、こう考えたかというと3日目の旅館のことが思い出される。担任がウチの部屋に来てこう言った。「明日はガイドさんが、永井博士の話をしてくれる。半年ぐらいかけて、覚えるらしいから、その努力をムダにしないように、しっかりと聞くように。失礼のないように」 ここまでは納得できるモノだった。しかし次に奴の口から出たのはこうだ。『でも、あのガイドさんは2年目。俺から言わせてもらうと、ガイドなんかじゃないんだよね−』
ボクは唖然とした。なんて余計なことを言う人間なんだ・・・。許しがたい発言。確かに、ガイドさんとしての力量っていうのは劣るかもしれない。けど、一生懸命やっている。ウチらは寝てたけど、起きて聞いている数人のために全力で頑張っていてと思う。それが、なぜ…?否定されないといけないんだ?
色々思い出した。涙が出てきた。もっと時間をかけて見学した買った場所、人の本性をみせつけられたこと、自分の学校のモラルの低さ。全てが悔しかった。自分はこれから2年間、そういったモラルのない人間達と学校生活を送らないといけないんだ。また、さっきイカれた発言をした担任から何を学ぶんだ?僕は自問自答した。その答えが涙。つまり嫌なんだ。
思った。試験で点数はいらない。知識が欲しい。常識が欲しい。道徳が欲しい。
機内でスチュワーデスさんと話した。色々と世間話を−。学園祭の話になった。「来て欲しいなぁ〜」とか言ったら、「いいよ」とか言った。自分の名前はこうで、空港で社員の名簿が〜〜〜とか説明してくれた。本気で?分からない…。どっちなんだ?ただ、たぶらかしてんのか?それともOKなのか? 社交辞令なのか…? 分からない。ハッキリと言ってくれたほうが良いのに。意味が分からなかった。そりゃ、誘っていいなら誘うけどさぁ…。ダメならダメって言ってくれたほうがいいよ。あっちが嫌なのに誘ったりして、本気?とか言われたら嫌だし。それで失礼に思われても困る。
着陸後、バスに乗って新横浜へ。その後、マックで軽く食べた後、電車で○○駅へ。いつもなら電話をして迎えに来てもらうとこだけど、辞めた。ゆっくりと振り返りたいというワケもあり、歩いて帰った。そして20分後に到着。
家に着いて、風呂に入って寝た。
原爆資料館へ。この地、広島に行ったときと同じ気持ちだった。どんな悲惨なものでも見る。それが礼儀でもある。そして見ないといけない。2度と同じ惨劇を繰り返させないために。いわば歴史の証人だろうさ。実は、この日の前、昨日、ウチの学校全員で原爆被害者の演説を聞いたのだ。だから、みんなも真剣に見るものだと思っていた。
期待は違った。ウチの学校だけではなく多くの違う高校生、中学生、小学生が居た。館内は騒がしかった。真剣みも感じられない、何を学びに来たのかも分かっていない。騒いでいた−。また、ボクの学校の見学時間は異様に短かった。1つ1つ読んでいこうと思っていたら、もう時間だった。
見たい。見ないといけない。ここに残りたい。時間よ止まれ−。集合時間に遅れると、全員に迷惑だ。だから帰るしかなかった。やり残した。じっくりと見たかった。
集合場所でバスを待っていた。5〜10分も待った。その間の時間、見学したかった。やりきれない気持ちが残っていた…。
バスの中、ずっと寝ていた。
ハアウステンボスに着いた。何もしたくなかった。何をしにここへ来たのかが分からなかった。起きていたけど頭の中で寝ていた。適当に食事をして見学。あまりに楽しくなかったのでベンチに座ると寝てしまった。その後チーズケーキを買っていった。
ハウステンボスを出て空港へ行く間、ずっと寝ていた。車内で手紙ゲームが始まったのに気付いたが、イライラしていたので寝たフリをした。ガイドさん、協力しないでゴメン。
空港に着いた。元気はある。もう何日もいたかった。回りたかった。が、時間が来たようだった。
唯一やりのこしたことは原爆資料館の見学か…。もうやる気が無いように歩いた。みんな帰れるのに嬉しいのか笑顔だった。ボクは逆だ。やり残したことがある。体力的にも、前半は睡眠不足で大変だったけど、後半は良くなった。これから…だったのに。
出発間際、協力できなかった自分にケジメをつけようとガイドさんのところへ挨拶をしに行った。お礼をして、これからも頑張って欲しいと伝え、ガイド全員と写真を取った。最後に握手。協力できなかった自分を許して欲しいと思うぐらいだった。
なぜ、こう考えたかというと3日目の旅館のことが思い出される。担任がウチの部屋に来てこう言った。「明日はガイドさんが、永井博士の話をしてくれる。半年ぐらいかけて、覚えるらしいから、その努力をムダにしないように、しっかりと聞くように。失礼のないように」 ここまでは納得できるモノだった。しかし次に奴の口から出たのはこうだ。『でも、あのガイドさんは2年目。俺から言わせてもらうと、ガイドなんかじゃないんだよね−』
ボクは唖然とした。なんて余計なことを言う人間なんだ・・・。許しがたい発言。確かに、ガイドさんとしての力量っていうのは劣るかもしれない。けど、一生懸命やっている。ウチらは寝てたけど、起きて聞いている数人のために全力で頑張っていてと思う。それが、なぜ…?否定されないといけないんだ?
色々思い出した。涙が出てきた。もっと時間をかけて見学した買った場所、人の本性をみせつけられたこと、自分の学校のモラルの低さ。全てが悔しかった。自分はこれから2年間、そういったモラルのない人間達と学校生活を送らないといけないんだ。また、さっきイカれた発言をした担任から何を学ぶんだ?僕は自問自答した。その答えが涙。つまり嫌なんだ。
思った。試験で点数はいらない。知識が欲しい。常識が欲しい。道徳が欲しい。
機内でスチュワーデスさんと話した。色々と世間話を−。学園祭の話になった。「来て欲しいなぁ〜」とか言ったら、「いいよ」とか言った。自分の名前はこうで、空港で社員の名簿が〜〜〜とか説明してくれた。本気で?分からない…。どっちなんだ?ただ、たぶらかしてんのか?それともOKなのか? 社交辞令なのか…? 分からない。ハッキリと言ってくれたほうが良いのに。意味が分からなかった。そりゃ、誘っていいなら誘うけどさぁ…。ダメならダメって言ってくれたほうがいいよ。あっちが嫌なのに誘ったりして、本気?とか言われたら嫌だし。それで失礼に思われても困る。
着陸後、バスに乗って新横浜へ。その後、マックで軽く食べた後、電車で○○駅へ。いつもなら電話をして迎えに来てもらうとこだけど、辞めた。ゆっくりと振り返りたいというワケもあり、歩いて帰った。そして20分後に到着。
家に着いて、風呂に入って寝た。
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