遊ぶ場所
2003年9月23日 フットサルをするのは楽しい
もともと「華麗」というイメージが強いが
サッカーよりも確実で
基本に忠実で無ければならない部分が多い
そして、いつも「寄せ集め」の
『個人フットサル』というところに行けば
自己主張できなくなる
例えば・・・
今日は「ヒールリフト」で相手を抜こう!
って考えていても
知らない人達だらけのチームメイトたちの
視線は冷たい。
逆に、それで人気者になれるという部分もあるのだが
個人フットサルのように
その場で集まった人達をチームわけして
試合をしていくというのは面白い企画だと思う
一人でも参加できるし、いいと思う。
ただ、「境界線」というのが曖昧だと思う
例えば、「ファール」であるとか
それはモラルの問題でもあるかもしれないが
激しく当たってきたりする熱い人もいる
けど中には、怪我をしないように遊びに来ている人もいる
そういった色々な人が集まっている。
技術の差や男女と言う差もある
その中での境界線というのは引き難い
あと― ぶつかったりしたり
足を蹴ったりしてしまったり
肘が顔に入ったり・・・と
スポーツをしている以上アクシデントはある
そういうときに
何も無かったように素通りする人もいる
「謝れよ」っていうのが、見ていてある
自分の経験上にもそれはある。
ルールというのが存在しないという意味では
「楽しい」と思われる「個人○○」というのも
最悪であったりするときも有り得る。
それでも曖昧な場所へ明日も行くだろう。
なぜなら、俺にはやる場所がないからだ。
日本にはスポーツを無料で、思いっきり出来る施設は少ない
だから、俺は出来るだけ安い場所で
自分のやりたいことを
やりにいくしかない
(やらざるをえない)
小中学校のグランドや体育館を開放したりできないのかなぁ
そういうとこが日本はセコイから
貸さないんだよね…。
いつまでたっても日本のスポーツの底上げにはならないと思う
海外とは違う、ということか。。。
もともと「華麗」というイメージが強いが
サッカーよりも確実で
基本に忠実で無ければならない部分が多い
そして、いつも「寄せ集め」の
『個人フットサル』というところに行けば
自己主張できなくなる
例えば・・・
今日は「ヒールリフト」で相手を抜こう!
って考えていても
知らない人達だらけのチームメイトたちの
視線は冷たい。
逆に、それで人気者になれるという部分もあるのだが
個人フットサルのように
その場で集まった人達をチームわけして
試合をしていくというのは面白い企画だと思う
一人でも参加できるし、いいと思う。
ただ、「境界線」というのが曖昧だと思う
例えば、「ファール」であるとか
それはモラルの問題でもあるかもしれないが
激しく当たってきたりする熱い人もいる
けど中には、怪我をしないように遊びに来ている人もいる
そういった色々な人が集まっている。
技術の差や男女と言う差もある
その中での境界線というのは引き難い
あと― ぶつかったりしたり
足を蹴ったりしてしまったり
肘が顔に入ったり・・・と
スポーツをしている以上アクシデントはある
そういうときに
何も無かったように素通りする人もいる
「謝れよ」っていうのが、見ていてある
自分の経験上にもそれはある。
ルールというのが存在しないという意味では
「楽しい」と思われる「個人○○」というのも
最悪であったりするときも有り得る。
それでも曖昧な場所へ明日も行くだろう。
なぜなら、俺にはやる場所がないからだ。
日本にはスポーツを無料で、思いっきり出来る施設は少ない
だから、俺は出来るだけ安い場所で
自分のやりたいことを
やりにいくしかない
(やらざるをえない)
小中学校のグランドや体育館を開放したりできないのかなぁ
そういうとこが日本はセコイから
貸さないんだよね…。
いつまでたっても日本のスポーツの底上げにはならないと思う
海外とは違う、ということか。。。
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