ラブレター 笑

2002年6月10日
 今日は学校で体育があった。最初は嫌だったけど、しょうがないかぁ・・・って感じで臨んだ。前日の6時間サッカーで体調はイマイチだったなか、走り幅跳びの測定。ウチら1回しか練習してないのに、もう測定かよ…っていう雰囲気が周りからは感じ取れた。
 1回目。ボクはファウルを気にしつつ跳んだ。ヘボい。4m70 笑 正直、悔しかった。もっと跳びたい−。そのとき、僕の憧れの人が目の前に見えてきた。「こんなヘボいところを見せられるか!」執念で、次(2回しかチャンスがない)へ臨む。
 2回目。気持ちが出てきた。変なところは見せられない。目の前にあの人がいるつもりで行く! 助走を取る。全力で走った。俺の頭の中には遠くへ跳ぶことしかなかった。「何メートルでも良い。みんなの中で一番良い結果を出したい。それが−」
 踏み切りはどこで切ったのか覚えていない。見えてもいなかった。が、いつもと違った。いつもより長い時間跳んでいた。自分でも分かった。着地する。結果は…5m16。 勝った!何に勝ったというと自分にかな?すごく嬉しかった。たかが体育だけど、120%の力が出た。1人では5mも跳べなかったはず。この記録はオレの記録じゃない。2人の記録だった。

 その後、決心した。憧れの人に手紙を出そうと。ファンレターってやつッスかね。それを日本史の、今の僕の周りの中で最も人格的に優れている先生に相談した。

 まず、変な工夫をしないで自分そのものを出すと言うこと。素直な気持ちで書くことが大事。 
 当然、名前と住所は同封で書くんだ。それで返事が来なかったらファンを大切にしていないって捉えてもいいんじゃないか?と言ってた。 確かに、それはあるかも。今、ここでオレの憧れの人を言っても、1000人に1人知っているかどうかってぐらいの人だ。1通の手紙ぐらい返せるはず。分からないけど…。

 オレにとって理想の女性なんだろうなぁ。純粋に応援している気持ちを伝えられれば、言うことはない。もし文通できるようなら−一生の運を使い果たすかもネ。まぁ、あんまり期待しすぎてはいけないけど、良い結果になるといいなぁ。

今日のロシア戦はフットサルの仲間−大学生と1こ上の人と、大学生の家で一緒に見た。

 試合は周知の通り、日本がW杯5試合目にして初勝利。試合後のインタビュー、宮本の「前試合を反省して無茶なラインの押上を控えた」と言う内容の話を聞いたとき、少し安心した。良かった。失点0はその証拠だ。危ないシーンもあったけど、内容的にも勝っていた。歴史的1勝であると共に、自信がついたはず。なにより決勝トーナメントに近づいたはずだ。日本は1位ならC組みの2位と戦える。ブラジルとの戦いは避けたい。だから次を勝って1位で決勝トーナメントに行って欲しい。ブラジルは、今、最高に調子がいいからネ。

本日。10:00〜16:00までサッカーやりました。久しぶりに外で。暑いけど湿気がない分、平気だった。スタミナは最後まで持った。2対2や1対1など、一人では出来ない練習をした。1対1では、ディフェンスのときは1回も抜かれなかった。上手い人相手にネ!大きな自信!オフェンスも何度か勝ったし、今日は良かった。あとはパスミス等のイージーなミスを無くせば、納得できるプレーが増えるかもしれない。きっと。これから学校から帰ってきたら練習するぞ!頑張るゾォ

ふっ

2002年6月8日
本日は学校。週休完全二日制って何なんだ。ってな感じでやる気無く学校へ。朝テストの勉強なんか電車の中で十分や!と言いながら適当にやる。でえ、常に列で一番。返されるときに人の点数を見てるんだけどね、勝ってるよ。

朝テストの後は、過去の英検2級の問題を解いた。適当にパパッと終わらせて絵を描いたり寝てました。 僕の席は前から2番目で教師から見ると、けっこう目立つ場所なので大胆なことは出来ないッス。
 で、採点開始。と言っても先生が長々と解説。単語の意味とか、誰が教えても同じなんだから自分で調べて覚えた方が時間がかからないし良いと思うんだけど…。
 あまりにも退屈だったから寝てしまった。自分から進んで寝たんじゃない。なんだか体が勝手に…。起きたら終了10分前。途中で何度か起こされていたけど、眠気が覚めなかった。前日は7時間ぐらい寝たのになぜだろう?あまりにも退屈だからかな?

 その後、呼び出しを喰らった。担任とボクの会話の一部始終をドウゾ。(注 T−担任 F−フット猿)


 T.なんであんなに寝たんだ?
 F.知りません

 T.昨日何時間寝たんだ?
 F.7時間
 (Tは一瞬止まる。きっとオレが2・3時間と言うとでも思ったんだろう)

 T.英語は一瞬が勝負なんだ。その場で解決しないといけない
 F.はぁ。

 T.あんなに寝てたから怒鳴ろうかと思ったんだよ
 F.(ワンとでも吠えるのかよ?)はぁ。スンマシェン

 T.俺に謝ってどうする?
 F.(壁に向かって)スンマセン

 T.完璧に出来るとでも思ってるの?
 F.んなハズないじゃないッスか!(アホか)

 T.オマエは調子がいいときは元気がいいけど、悪いときは寝てばかりだな
 F.(っせーな)ハイ。

 T.前から2番目でそういう態度だと、みんなを引っ張っていくのにダメじゃないか?
 F.(へ?みんなを?)はぁ

 T.力のあるオマエやAが引っ張っていかないといけないんだよ
 F.オレ、力無いッス

 T.とにかく、頑張ってもらわないと困るんだから
 F.・・・ウイ。頑張りまぁす

 
 どうっすかね?なんで眠くなるかっていうのに理由なんてあるんでしょうか…。日頃、担任は人に迷惑をかけるなとばかり言っている。オレが寝たことで誰かに迷惑がかかったのだろうか?

 俺は思う。勉強の答えになる部分は1つ(たまに複数あるけど)だと。先生って言うのはその答えにたどり着くまでの仮定をどれだけ分かりやすく教えるかというのが役割のはず。だが、英語っていうのはそういうのはあるんだろうか?オレは文法が得意だから、文中に「あれ?」と思うことがあるのは知らない単語があるときぐらいだ。でも、それって人から教わっても自分で辞書で引いても、結局同じなんだ。決まりきったことを教わるのに、果たして教師は必要なのか?そんなことを考えたら先生の立場が無いけど…。必要ないんじゃないか?単語なんて先生より辞書の方が沢山知っているんだから。辞書から教わっても良いんじゃないか?それと、人が言ったことをそのまま写したって頭に入るでしょうか? 古文の先生が言ってたこと、5間を使って覚えること−。視覚−見て、聴覚−聞いて、皮膚感覚−(辞書等を)触る。この3つを最低でも使って勉強をしなさいって言われた。 英語の時間だと、作業をしているだけに過ぎない。意味を書いたところで見直しなんかしないし。

 落とし穴。ここから這い上がらないとね。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
 
 人には才能がある。何かにおいて絶対1つは必ずある。オレには何があるのかな?

 今、W杯が行なわれている。ああいうところに出てくる選手って言うのはサッカーの才能があるんだろうなぁって思う。または良い指導者に出会って成長したんだろうなって思う。俺はサッカーをやっている間、いい指導者に会えなかった。自分に才能があるかって言うのは良く分からないけど、認められなかったんだろう思う。でも、最近フットサルをやっている仲間に「上手いね」とか「なんでサッカー辞めたの?」とか「才能があるのに、もったいないね」とか言われた。サッカーを辞めて2年が経とうとしている。その2年、いや、ずっとそういう言葉を言われなかった。周りに認められていないでいた。だから、そういう言葉が今の自分をどれだけ癒してくれるかは言うまでも無い。みんなの言葉は、オレを評価してくれると同時に、今までオレが出会った指導者にいかに見る目が無かったってことを言ってくれている気がする。
 
 実力を認め合える仲間、実力を見出せる指導者。この2つ、運動選手にとって大事だと思う。成長するためには、勿論努力も必要だが、それ以外の部分はここに委ねられている様なもの。この2つが充実していれば伸び方が違うんだ。しかし、これは運でしか決められない。自分から友人や指導者を選ぶことなんて不可能に近いんだ。 
 
 だから、俺の周りには実力があってもサッカーを辞めてしまった人が多いだ。理由を聞くと、やはりその2つのどちらかなんだよね…。彼らの優れた才能を潰す指導者は沢山いるんだなぁ。可愛そうだ。改善の余地があるけど、日本だし、無理だろうね。とにかくオレが出来るのは、生き場を失った人達を集めて、同じ意識の中で楽しむことだ。

ZZZ・・・

2002年6月6日
 試験、返されているけど納得できない点数だ。でも、それはいつものと比べると…だから。今回は特別だし、ちょっとしょうがないかなって思う。

 本日はB&Dというサッカーショップに行ってトレーニングシューズを買いました。で、カードのポイントによって割引できたから、5500円するものが2800円で買えました。白いトレーニングシューズでけこう気に入りました。NIKEが個人的には好きだけど、あんまり良いのがなかったからNIKEのは買いませんでした。
 これを履いて外で練習するぞお!土日は、ほぼ毎日友達と練習することになった(っぽい)
 上手くなりたい

 本日のW杯、ウルグアイのエースでもあるレコバ選手のことが気に入りました。彼の速さ、上手さ、シュート力…どれをとっても素晴らしい。見方を扱える選手でもあるし、自分でもゴールを狙える素晴らしい選手。ボクから見ると○ダンより上手い気がする。

 

今日の日記

2002年6月5日
疲れた。試験の結果は全てが返ってきたら発表します。

今日の日記

2002年6月4日
 本日は試験最終日。数学?と英語?でしたが、どっちも手応えがない。別にいいやって感じ。

 日本は引き分けでした。フラット3の盲点、本番でも出てましたね。それと2失点目のときの中田浩二選手のプレー。ゴールばかりが目に付きますが、ボクは彼のプレーが目に留まりました。何に気付いたかというと…リプレーのビデオを見てみると、シュートを打った選手が奥に、キーパーが中央、そして彼が手前。あの時、ゴールカバーができたのは彼だけでした。しかし彼はオフサイドだと右手で主張しながら全力疾走を怠っていました。もし全力で追っていたら、追いつけていたかもしれないと思えるものでした。正直、あのような選手が代表にいるってことが疑問です。

 全力で勝ちを狙うのは応援する人ではなく選手のはず。国を代表する人が…ファンを失望させてはいけませんよね。あの緩慢なプレー、目に焼きついています。せっかく2−1、歴史的勝ち点1ではなく歴史的勝ち点3だったことも有りえたはず。日曜日のロシア戦、どうでしょうか?全力でやらない選手が一人でもいたら勝ち点3はおろか、1も奪えないはずです。本当に決勝トーナメントに行くという気持ち、そのへんに注目して見てみて下さい。

 今日は勝ち進むための最低限の結果でした。ボーダーラインは勝ち点5だと思っています。それ以上の結果を期待したいですね。

 一方、韓国は気持ちを前面に出して選手全員が全力でやっていました。それが結果として出ていました。日本の人もあれぐらいやらないと勝てないでしょう。

 本日、桜木町にてフットサル。人工芝特有の暑さ+気温の高さ。頭がフラフラでした。危険な状態だったと思います。全国のフットサルプレーヤーの皆さん、夏場のフットサル上においての高時間のプレーは日射病を引き起こす可能際がありますので気をつけて! そういえば桜木町の芝、けっこう深かったなぁ。


今日の日記

2002年6月3日
今までのテストの予想点数

現代文・・・・65〜75
Writting・・・65〜75
数学B・・・・70〜80
古文・・・・・65〜75
日本史・・・・65〜70
英文法・・・・85〜90

 うーん…いつもの元気がないですね。いつもはもっと良い結果が出るのに。この要因として考えられるのは、まず直前の修学旅行。あとW杯。見ないワケにも行かないだろうよ!まぁ、結果が出てみないと分からないし。

本日、ブラジル−トルコ。なんで地上波で放送しないんだ!スカパーなんか取ってねえよおおお。でも、以外に良い試合をすると思うよ〜。
イタリアーエクアドルも好ゲームを期待。初出場のエクアドルもセネガル、昨日負けたスロベニアのような気持ちのこもった試合を見せて欲しいですね。

本日の予想

ブラジルVSトルコ    ブラジルの勝利
イタリアVSエクアドル  引き分け (穴狙い)

かぁ!

2002年6月2日
スペイン−スロベニアの試合、スロベニアは頑張っていた。ザボビッチ、カックイイよアンタ!なのになんで途中交代したんだ??? スペインのPK…あれはペナルティーエリアの外じゃないか?しかもアレがファウルだったら、その前のスロベニアのペナルティーエリアで倒されたプレーもファールだろ!バカヤローーーー

今日もワールドカップばかり見て勉強していません。もういいや、って感じです。でも一応頑張っておきます。一通り覚えたら寝ます。けど日本史の量がハンパねえ!クッソオオオオオ


今日の日記

2002年6月1日
テスト散った。けど言い訳できない。修学旅行に行ったのは自分だけではなく、みんなが行ったんだからさ。

サッカー、ドイツの強さを見せ付けられた。8−0って現代のサッカーのスコアであり得るのかね。けど、その破壊力は驚異だね。開幕戦で1点が取れなかったフランスとは対照的です。

勉強するつもりが、昼寝をしてしまいました。結局30分しか勉強してません。ヤバィ!ま、明日死ぬ気でやるしかない!

おぉぉ

2002年5月31日
 フランスが負けた。解説の加藤久さんもボクと同じことを思い出したようでした。
 
 90年、イタリアW杯。前回優勝のアルゼンチンはアフリカのカメルーンと開幕試合を行なった。結果は0−1でカメルーンの勝利。打点が4mぐらいのところからヘディングでシュートを決めたいました。驚異の身体能力です。

 今年も同じでした。前回優勝の国とアフリカ勢との試合−。同じ1−0。

 サッカーって何が起こるかわからないね。

 フットサルも面白いけどサッカーもいいよね。

 最近、ウチの集団、人数が多くなってきたかサッカーやるかもしれないんだ。8人対8人とかの試合になるかもしれないけど。

 そのためにトレーニングシューズを買いに行ったんだけど、良いのがなかった。残念。他をあったってみよう。

 試験、ヤバイね〜。

 

ぽえむ

2002年5月30日
明日からテストだ

明日からワールドカップだ

N504i いつ買おうかなぁ

複雑な気持ち

2002年5月29日
 今日は長崎のお土産のカステラを届けにフットサルやっている場所に行った。みんな「美味しい」と言ってくれて喜んでた。良かった〜。

 その場所で驚愕の事実を聞かされた。何と!あの天才少女とフットサル仲間Kが付き合っている!と。驚いたといえば驚いたけど、よく見たら一緒に座っているし、仕草も不自然だから何となくわかった。

 けど、この行動。フットサル集団に悪影響を及ぼすのは間違いない。集団内の恋…ある意味タブーだったのかも。なぜかというと、?周りが一緒にやりにくいということ。?分かれた後、2人は気まずいんじゃない? ということ。

 他にも色々とあるけど、僕に人の恋を邪魔することは出来ない。けど、みんなに余計な遠慮とか悪影響を及ぼすのなら追放しないといけない。みんなが楽しんでやる場所を作ることが僕の仕事でもあるし、このフットサル集団の代表者としての自覚もある。本当に遠慮しながらやるのが楽しいならそれでもいいが、ソレはあり得ないだろう。僕等にとって両方良い思いはしないだろう。

 ボクは天才少女と話すこともあるし、仲は悪くない。実は、前にこう話した。「Lリーグ(日本女子サッカーの最高峰リーグ)に入ったら応援に行くよ」と。彼女も喜んでいた。けど−彼氏がいる、しかも自分の知り合いでもある奴。そういう人を本気で応援することは出来ない。 今ここに1つの思いが浮かぶ。

 『自分の憧れの人が彼氏がいたとしても応援する気になれるのか?』

 答えは言うことが出来ない。でも一般的に、それでも応援するのがファン!っていう考えがある。確かに、ソレを分かっていて応援できることは凄いことだと思う。けど・・・・。

陸が揺れてる

2002年5月28日
フラフラ・・・。なんで陸が揺れているんだ!治らない。勉強、あんまり捗らない。助けて

本日、日本史+古文+現代文+数学?+ライティング(英語)を勉強するつもりだったが、納得できるモノではなかった。やりたいけど体調が悪いし!クッソオオオオオオオ。

体調悪し

2002年5月27日
船酔い・・・じゃない可能性が出てきたかも。まったく快方の兆しが見えない。頭の中で鳥肌がたつという異常なことも起きる次第…。勉強していてフラフラしている感覚…。マズイそ、コレは。ま、体調がどうであれ頑張るしかない。このままでは危機的状態なので勉強しないと…。

携帯、去年の12月31日に解約。以来半年が経とうとしている。そろそろ不便と感じ始めた。そこでドコモのN504iを買おうかと思っています。29日発売だそうです。でも今買ったら試験にサシツカイありの可能性もあるので迷っています。
そもそも解約した理由っていうのは何だったんだろうか?それを口(文章)で説明するのは難しいです。そこを頑張って説明してみると…。

 まず時間に追われる。例えばメールが来たとしよう。あおうしたら必ず返さないとマズイでしょ。時間を書けたメールに、また相手からその返事が来る。結局ボクは寝る前しかメールができなかったのだけど、いつも寝ようと思った時間より1時間ぐらい遅く寝ていた。この1時間は大きい。
 第二に、理由が曖昧になった。ケイタイは便利だ。しかし、それに伴う通話料や基本使用料は、社会人ではないボクではなく親が払っていたのだ。当時、毎月4000円ぐらい使っていた。それが12ヶ月−。約48000円を親に負担させていた。また、ケイタイを使えて当然と思ってしまっていた。こんなに負担させているのに使えて当然と思ったのだ。感謝の気持ちが薄れて、使う権利がない気がした。だから自主的に、解約させて欲しいと言って、自分から店に言って手続きをしたのを覚えている。

 今、ようやく必要性と感謝の気持ちが芽生えた。やっと本当の意味でケイタイを持ち、使える(持たせてもらい、使わせてもらう)ようになったのだと思う。

あーーー、フラフラするううううう!help me please!!!

今日の日記

2002年5月26日
31日から始まる中間試験に向けて勉強を今日から開始です。

 本日、午前中に数学Bを大体理解できました。授業ではサッパリだったけど、復習するとマアマアだった気がする。でも、これから公式とかをどの時に使うとか、問題慣れする必要があると思いました。
 午後は日本史。マジ量が多い!ってか、本当に覚えられるのかよコレ!?ってぐらい。イタリア代表と鹿島のサッカーの試合をTVで見たりして、捗らなかった。

 それと体に異常を感じます。いや、それほど大したことではないんだけどさ…。船、乗ったんですよ。熊本から長崎に渡るときに。その時の揺られ具合というか何というか…船の感覚が頭に残っていて、普段、何でもないときにグラッと揺れたりするんです。勉強する時も落ち着きません。誰か助けて

平凡な一日

2002年5月25日
10:00起床。ボーっとTVを見ながら午前中が過ぎた。午後は昼飯を食べ、ゲームをやった。

 今日、マトモなことをやったのが大学の情報を集めたことだ。行きたいところを調べたところ、国公立も含んであるので理科、数学も欠かせなかった。しかし理科は地学、数学はI・Aと両方とも苦手ではないモノで受験が可能だった。また、社会科は地理を選ぼうと思ってる。日本史、世界史は難しいと思う。

 現在の予定
国語・・・普通にやります
英語・・・上に同じ
社会・・・地理で行くかな
数学・・・I・Aで行こうかと
理科・・・生物嫌いなので地学

午後は友達がウチのPCの修理をしにきてくれた。まぁ直さないでもいいみたいだった。特に支障は無いみたい。

 それと死ぬなんていってゴメン。昨日だけで少なくとも2人を泣かせてしまった。とりあえず、フットサル仲間や学校の一部の人達、家族、これから出会う人たち。みんなを大事にしていこうと思います。

嫌い。何もかも−

2002年5月24日
 起床時間午後1:15。食事をとって、テレビを見て、PCやった。

 思い出される九州の日々。得ることができた平和と自然っていうのが今回のテーマとして挙げられる気がする。

 また、再確認。僕は学校が嫌いだ。生徒、先生・・・。同じ制服を着て行動するのも嫌だった。恥ずかしい。自分が、あの程度の幼い人間と同じ制服を着て存在していることだけで恥ずかしい。学校で道徳の時間がないからっていうのもあるけど、やっぱ核家族っていうのが原因じゃないかな?

 核家族だと、お年寄り接する回数が極めて低い。つまり、思いやりの気持ちがない人間が育つ。親に依存する。だから考え方が、単純になりがちなんだ。戦争関係の場所へ行っても関心がないのか分からないけど、気持ちが浮ついてる。阿蘇の自然の中でツバを吐いてる奴らを見たときは殺そうかと思った。

 オレは嫌いだ。学校のことに関して無気力だ。10月には体育祭がある。ウチの食事の場でヨソの学校の体育祭の話が出た。僕はその時、こう言った。「体育祭には来ないでいい。あんな無気力な催し物を見に来て欲しくない。時間の無駄だ。もし来るんだったら、どこかへ買い物に行ってたほうがマシだ。」
 親は、あんまり良い顔をしてなかった。僕はもう一度言った「俺自身も無気力だ。個人競技なんか出る気すら無いから」 親はこう反論した。「それは逃げている」

 ボクは胃がおかしくなった。ムカムカとして口から出てきそうな感じだった。なぜ・・・?親は、一度きりなんだから楽しまない方が損とか言ってた。

オレは違うんだ。本当に嫌で嫌でしょうがないんだ。上に書いたように、ああいう生徒と共に何かをすることが本当に嫌だ。周りから同じ学校の生徒として見られるのが本当に嫌だ。親は分かってくれない。分かろうともしない。親は自分の経験上での話しかしない。僕の会話に耳を傾けないでいる。俺の気持ちを分かってくれない。

 好かれてるけど愛されてはいない。死んでやろうと思。もうイライラが止まらない。どこへ行ってもバカばっか。

修学旅行最終日

2002年5月23日
 朝、起きるのが辛かった。起きれない。しかし無理矢理起きた。布団のシーツをまとめ。布団をたたみ。食事をし、洗顔・歯磨きをして荷物を送る用意をして出発!

 原爆資料館へ。この地、広島に行ったときと同じ気持ちだった。どんな悲惨なものでも見る。それが礼儀でもある。そして見ないといけない。2度と同じ惨劇を繰り返させないために。いわば歴史の証人だろうさ。実は、この日の前、昨日、ウチの学校全員で原爆被害者の演説を聞いたのだ。だから、みんなも真剣に見るものだと思っていた。

 期待は違った。ウチの学校だけではなく多くの違う高校生、中学生、小学生が居た。館内は騒がしかった。真剣みも感じられない、何を学びに来たのかも分かっていない。騒いでいた−。また、ボクの学校の見学時間は異様に短かった。1つ1つ読んでいこうと思っていたら、もう時間だった。

 見たい。見ないといけない。ここに残りたい。時間よ止まれ−。集合時間に遅れると、全員に迷惑だ。だから帰るしかなかった。やり残した。じっくりと見たかった。

 集合場所でバスを待っていた。5〜10分も待った。その間の時間、見学したかった。やりきれない気持ちが残っていた…。

 バスの中、ずっと寝ていた。

 ハアウステンボスに着いた。何もしたくなかった。何をしにここへ来たのかが分からなかった。起きていたけど頭の中で寝ていた。適当に食事をして見学。あまりに楽しくなかったのでベンチに座ると寝てしまった。その後チーズケーキを買っていった。

 ハウステンボスを出て空港へ行く間、ずっと寝ていた。車内で手紙ゲームが始まったのに気付いたが、イライラしていたので寝たフリをした。ガイドさん、協力しないでゴメン。

 空港に着いた。元気はある。もう何日もいたかった。回りたかった。が、時間が来たようだった。

 唯一やりのこしたことは原爆資料館の見学か…。もうやる気が無いように歩いた。みんな帰れるのに嬉しいのか笑顔だった。ボクは逆だ。やり残したことがある。体力的にも、前半は睡眠不足で大変だったけど、後半は良くなった。これから…だったのに。

 出発間際、協力できなかった自分にケジメをつけようとガイドさんのところへ挨拶をしに行った。お礼をして、これからも頑張って欲しいと伝え、ガイド全員と写真を取った。最後に握手。協力できなかった自分を許して欲しいと思うぐらいだった。

 なぜ、こう考えたかというと3日目の旅館のことが思い出される。担任がウチの部屋に来てこう言った。「明日はガイドさんが、永井博士の話をしてくれる。半年ぐらいかけて、覚えるらしいから、その努力をムダにしないように、しっかりと聞くように。失礼のないように」 ここまでは納得できるモノだった。しかし次に奴の口から出たのはこうだ。『でも、あのガイドさんは2年目。俺から言わせてもらうと、ガイドなんかじゃないんだよね−』

 ボクは唖然とした。なんて余計なことを言う人間なんだ・・・。許しがたい発言。確かに、ガイドさんとしての力量っていうのは劣るかもしれない。けど、一生懸命やっている。ウチらは寝てたけど、起きて聞いている数人のために全力で頑張っていてと思う。それが、なぜ…?否定されないといけないんだ?

 色々思い出した。涙が出てきた。もっと時間をかけて見学した買った場所、人の本性をみせつけられたこと、自分の学校のモラルの低さ。全てが悔しかった。自分はこれから2年間、そういったモラルのない人間達と学校生活を送らないといけないんだ。また、さっきイカれた発言をした担任から何を学ぶんだ?僕は自問自答した。その答えが涙。つまり嫌なんだ。

 思った。試験で点数はいらない。知識が欲しい。常識が欲しい。道徳が欲しい。

 機内でスチュワーデスさんと話した。色々と世間話を−。学園祭の話になった。「来て欲しいなぁ〜」とか言ったら、「いいよ」とか言った。自分の名前はこうで、空港で社員の名簿が〜〜〜とか説明してくれた。本気で?分からない…。どっちなんだ?ただ、たぶらかしてんのか?それともOKなのか? 社交辞令なのか…? 分からない。ハッキリと言ってくれたほうが良いのに。意味が分からなかった。そりゃ、誘っていいなら誘うけどさぁ…。ダメならダメって言ってくれたほうがいいよ。あっちが嫌なのに誘ったりして、本気?とか言われたら嫌だし。それで失礼に思われても困る。

 着陸後、バスに乗って新横浜へ。その後、マックで軽く食べた後、電車で○○駅へ。いつもなら電話をして迎えに来てもらうとこだけど、辞めた。ゆっくりと振り返りたいというワケもあり、歩いて帰った。そして20分後に到着。

 家に着いて、風呂に入って寝た。
 みんなに疲れの色が見え始めていた。僕はズット高いテンションを保ち続けていた。

 諫早を見学しグラバー園へ。洋風の庭園だった。庭とか、あんまり興味がないので特に印象に残らなかったが、上から見る町並みは良いものだった。

 その後、長崎市内をタクシー研修。 
 まず、稲狭山というところへ行って、333mのところから市内を一望。運転手さんの説明は素晴らしかった。長崎は−ある橋を挟んで、昔と今とで分かれている。当時の面影が残るほうが原爆被害地の方。もう一方は駅周辺の、近代化が進められた方だ。
 次にオランダ坂。洋風の面影が残るこの場所は、2つの学校の通学路になっていた。
 次は孔子の建物。中国の建物らしい歴史を感じた。
 最後に出島の資料館に行った。時間的に余裕がなかったが、面白かった。出島の位置は良く分からなかった(笑)

 その後は徒歩で研修。まず中華街で食事。ちゃんぽん−僕には合わない食事だ。次にカステラ屋を探す。が、なかなか見つからなかった。時間だけが過ぎていったが何とか見つかった。そこでお土産のカステラを買った。次は予定を変更して、日本26聖人殉教地へ行った。それから急いで路面電車に乗って、原爆中心地へ。南都も言えない気持ちになった。次に浦上天主堂へ。印象的だった。日本というより外国のようだった。聖堂は広く、綺麗だった。
 
 徒歩研修を終えた後、全員と合流。平和記念公園で写真撮影。その後、宿舎へ。

 最後の宿泊。窓から見える夜景は、1000万ドルの夜景と呼ばれ、とても綺麗だった。まず、DVDを見て、最後といわんばかりにゲームをする。ゲームが終わった後はAくんと会話。寝たのは3:00だった。

修学旅行3日目

2002年5月21日
初日は鹿児島。昨日は阿蘇。そして、今日は熊本+雲仙地方。

 最初の見学地は熊本城。塀などは当時の戦に対する特徴的な作り方だった。とりあえず上まで行って城の上から市内を一望。 そういえば日本と対戦するベルギー代表チームのホテルとかも見た。豪華だった。市内は歓迎ムードだったね〜。

 次はフェリー乗り場へ。途中、バスの中でカラオケ。昔の曲ばかりだった。僕は歌わなかったけどね。担任の歌はケッコウ上手かったような気がする。

 船の中は女子高校生や、一般PPLがいた。とりあえず寝てた。

 着いた。島原…。あの天草四郎時貞を中心に起きた島原の乱。キリスト教徒が多い場所だろうか…。車内から見える外には、墓が多く見られた。墓の名前は金色に書いてある。何かを感じた。また、家々は屋根が低かった。

 その後、仁田峠に行って見学。馬とか糞とかしかなかった。しかしあたり一面に広がる草原、湖っぽいもの。全てが綺麗だった。ローカルな場所もすごくいいと思う。

 本日最後の見学地、雲仙地獄めぐり。本当に地獄。硫黄臭くて・・・以前行ったことがある、大涌谷という場所そっくりだった。しかし腐卵っぽい匂いで臭い!!!

 で、そこの出口から歩いて数十秒のところに宿舎があった。そこで窓を開けると…換気さえ出来ない。この日泊まった宿舎は豪華だった。部屋の窓のところには縁側があって、池には鯉が泳いでいた。う〜ん、ラッキー。

 お決まりのように、夜中はゲーム三昧!あと哀歌くんお気に入りのDVD鑑賞をしました
 

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